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自由に過ごすということ

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 みっけの子どもたちはとても幸せな時間を過ごしていると思います。ゆっくりと流れる時間と南信州の自然を背景に季節の訪れを感じ、笑って泣いて食べて元気に遊んでいます。

 

 幼児期にこんな自由でのびのびとした時間を過ごしたら、小学校へ行った時大変じゃないかと言う人がいます。教室でじっと勉強しなければならないのにそれを窮屈に感じるのではないかという訳です。ですがみっけの子たちはそんな小学生にはなりません。

 どこの森のようちえんの子たちも同じだと思いますが、幼児期に充実した毎日を過ごした子ども達は、小学校の生活にも無理なく適応することが報告されています。それだけ自分が今、何をするときであるかをしっかり認識した子になるためだと思っています。自分の中で物事の切り替えが上手に出来るのでしょう。今は勉強する時、今は遊ぶ時とそうした時間のくぎりをつけ、自分をコントロール出来る子が育っているのだと思います。

 

 自然の中での生活は全てが自由ではありません。人間には及ばない自
然の摂理にしたがって、それに適応するために自分を変化させなければ
なりませんし、一年を通して自然の様々な厳しさにも出合います。です
から彼らはけっして自分勝手ではありません。様々な状況の中で自分を
うまくその状況に適応させています。そのこと自体を彼らは当然のこ
ととして自然に行っているのがすごいところです。

 そしてその柔軟さや適応力を人との関係の中でも使っています。友達
との遊びの中で交渉し譲歩し、譲り合い、協調的な関係を人との間で作ります。

 

幼児期の充実した本当の日々は、自然の中にいて楽しいことをしているのではなく、自分が自立した意識と自分の行動を自分でコントロールし主体的な自分でいることを自然な形で行っていることなのです。その状況を作りやすいのが自然環境の中で過ごすことなので、森のようちえんは自然の中に子どもを置いているのです。

2017/07/09

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